猫☆三

白、トラ、グレーの猫3匹

8ヶ月ぶりのそば屋

R0019459 のコピー
今日は本当に久しぶりにふたりで外出しました。昨年の大晦日、近くのおいしいおそば屋さんに行ったらあまりの行列にあきらめてかえったそのお店です。おおよそ8ヶ月ぶりに家を空けての外食です。思えばそのころはまだ、数時間ならアム太を置いて外出も出来ました。でも年を越してからあれよあれよと、悪くなり、家を全く空けることが出来なくなりました。そんなことを振り返りながら頂きました。
 そのあと遺影を作ろうとたまった写真を引っ張りだしました。何百枚という数の写真があり「いい写真」はたくさんあります。でも「アム太の遺影」はもう決まっていました。それが撮られたのは、病気が進行して前足も効かなくなっていた頃だったと思います。目は見えていて、意思表示もある程度は出来ました。横たわって前の窓を見ています。体はそれほどしんどくなかったのでしょう顔は穏やかです。その目が印象的でした。病気の進行で徐々に自由が効かなくなっていることも受け入れ、いずれくるであろう終わりを予感しつつ、でも気にもかけず、今日は楽しくなりそう、、そんな感じです。私がずっとみてきたアム太はまさにこれに表れていて、与えられた状況でただただ生きる動物の強さにいつも驚かされてきました。また病気の進行に憂いでいる私に「案ずるな、、、生きれば良いのだ」とやさしく語りかけてきます。こんな猫の表情は今までまずとらえることはできませんでした。偶然我が家に来たアム太と共に過ごした私たち、その関係からうまれたものでもあります。
  1. 2012/09/07(金) 03:04:50|
  2. アム太
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

整いました


アム太のためにお花をいただきました。
自分でも買いにいこうと思っていましたが、花やさんはなんだか苦手で(たくさんありすぎて何を選んでいいか)。
私が選ぶよりアム太にぴったりな気がしました。お骨のまわりもこれで整った様子で安心です。
ありがとう。
  1. 2012/09/03(月) 13:06:20|
  2. アム太
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:2

介護習慣あり


昨晩は半年ぶりぐらいに深く眠りました。
でも朝起きたときすぐアム太のいた場所を見てしまったり、外出して買い物をして帰るときなんだかそわそわして早く帰らなければならないような気がしたり、予定をいれるときカレンダーをみて家に不在にならないように考えていたり、時計をみてそろそろご飯の時間か確認したり、キッチンで調理中横目で寝ていた場所をチェックしたり、別室で聞き耳を立てていたり、、、とにかくなにか心配で気になって仕方ないのですが、特に何もやることもなく意味もなく部屋をうろうろしてしまいます。
 気を紛らわせようとアム太に使っていたトイレやらご飯、給水器、薬などを片付けました。部屋は整然と片付きがらんとしてしまいました。にゃおんとクッチンはいつもの場所でスヤスヤ寝ていてかまう必要はなく、音もなく静かです。改めて今年に入ってからアム太のことを生活の中心にしてきたことを感じました。アム太は猫以上の何か別の生き物だったように思います。四肢麻痺であったことで食事、排泄、睡眠、入浴、外出などの時間と空間、そして快適、不快などの感情を常に共有していたからだと思います。子猫からそだてたのはアム太で3回目でしたが、どの場合よりも圧倒的にパワーを必要としました。何をするにも「アム太」と「その他のこと」になり選択を迫られました。
 いま、寂しい気持ちでいっぱいで何も手につかないのですが、すこし肩の荷がおりて楽になりました。
 今日からはクッチンにもすこしかまってあげようと思います。ずっとアム太ばかりを看てきたので、まともに遊んであげていませんでしたのでいつも謝っていたのです。
  1. 2012/09/03(月) 12:44:26|
  2. アム太
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

骨太ですから


激動の一日でした。
 アム太はもう骨になってしまいました。陶芸家の友人に焼いてもらった、故アムー(ロシアンブルーでアム太の名前の由来の猫)の骨壺に共に入りました。いわゆるペット斎場にて立ち会って、焼いてもらい、骨を並べてもらい受け取るものです。担当の方に聞いたところ子猫の骨は成長段階でしっかり焼け残らないそうです。アム太の骨もまばらだったのですが、普通よりしっかりとしたものだそうです。手足も太く成長したら大柄になっていたでしょうと。はじめ私は麻痺の進行で骨があまりないのだと、おもったのですが逆に良く残っているそうです。聞くと多くの猫の骨を扱っているので違いがよくわかるのだそうです。そのような遺体をあつかう仕事なので、どこか影のある物静かな物言いの若い方でした。そのような職の方は普通はあまり無駄に話さないことが多いのですが、骨壺を「渋いですね、これ」と褒めてもらいました。
 アム太を焼いている間、我々は別室で待機して終わった連絡を受けて再度窯のところにいきます。和んだのが、その方が我々を待つ間、外で野良猫にご飯をあげていた後ろ姿です。やはり静かなものいいですが、猫の前ではトーンがあがって「さくらちゃん、おまたせ、、!」とたわむれていました。彼の後ろにたって「あのー」というまで気づきません。そしてすべての仕事をおえて、彼はまたさくらちゃんのご飯にもどり当のさくらちゃんはそとでちゃんと待っています。このお寺の猫ですかと聞くと「いえ、近くの飼い猫です」
 いろいろありましたが今日の終わりがこんな感じでなぜか良かったような気がします。
  1. 2012/09/02(日) 01:45:50|
  2. アム太
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

アム太、アム太、アム太


本日9月1日午前8時20分、アム太は旅立ちました。ゆっくりとゆっくりとそしてやすらかに。

はじめに駅でアム太を保護された方の到着の10分前でした。でも最後の瞬間を看取るより、しずかになったけれども温もりのある穏やかなアム太に会っていただきお別れをして、4人でアム太の思い出を話し合って笑ったりできたので良かったと思います。こんな風にはじめの親と里親とが最後に見送ることができるなんてまれなことでしょう。私たちも四肢麻痺になって大変な介護の後でしたし、さらに徹夜で見守った後でもあったので疲れ果てて絶望してしまうところを、はじめの親の方に「うちにきたときにはこんなに可愛くてみんなで取り合いになった」「このビジュアルでみんなに愛されて困難を乗り切った」と言っていただき、我が家にはじめてきたときのことを思い出し心が少し落ち着くことができました。そういえば、病院でも先生や受付の方、ほかの患者さん、誰もがアム太をかわいらしいとほめてくれたのです。そう、アム太は不幸な病気で生まれてたった11ヶ月で旅立ちましたが、それを乗り切るのに必要な術を、確かに持っていたのです。我が家に来たのも必然だったのかもしれません。

それから、お花を買いにいき少し眠りました。疲れていましたが思ったより眠れませんでした。このあと、夜にだびに付します。遺体は、生きているときよりリラックスして顔も穏やかですっとしていて大人の猫のバランスできれいな形です。生きているときは麻痺で部分部分がこわばっていたので、よけいな力が抜けたのでしょう。

アム太を見守っていただいている皆さん本当にありがとうございました。今日はまだ気持ちが落ち着きませんのでうまくいうことができません。取り急ぎ、ご報告いたしました。アム太は幸せな猫でした。
  1. 2012/09/01(土) 16:50:43|
  2. アム太
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0
前のページ 次のページ